信じていただけないかもしれませんが、去年の夏、とても不思議な体験をしました。その日は、かねてからの約束で千葉の房総半島にある某海水浴場へ遊びに出掛けていました。メンツは女2人に男2人。最初は女友達、そしてその彼氏と一緒の3人で行くという話だったのですが、恋人のいない私を気遣って、その女友達がわざわざ彼氏の同僚も誘ってくれたのです。ただせっかくの好意はありがたかったのですが、もう1人の男性というのはあまり私の好みではありませんでした。姿形がどうこうというのではなく、すごく退屈な感じの人で、行きの車中でもその口から飛び出すのは仕事の愚痴とスポーツ観戦の話題ばかり。自分のことを棚に上げてこんなことを言うのは申し訳ないのですが、(人間的な魅力のない人だな)という第一印象でした。また車中で向こうから何か話し掛けられるということもほとんどありませんでしたし、恐らくその人にとっても私は好きな女性のタイプではなかったのだと思います。
そんな感じで現地に着いても正直、あまり居心地は良くありませんでした。海の家で昼食を食べ、水着に着替えてからしばらくは皆と一緒に行動していていました。でもそのうちに気を遣うのが面倒になり、「ちょっと海で遊んでくる」と行って彼らの元を離れました。最初のうちは浜辺をぶらついたり浅瀬で軽く水に触れたりしていたのですが、そのうちに積み重ねられた貸しボートの山が目に留まり、ふと気まぐれが起きました。女1人でゴムボートを借りて海へ漕ぎ出してみたのです。 照りつける真夏の日差しの中、ボートの上でゆらゆらと波に揺られながらぼんやりとしていました。他の海水浴客たちの喚声も耳に遠く、胸に湧き上がってくる寂しい想いを噛み締めました。2年前に別れた恋人のこと、将来に対する漠然とした不安などが次々と頭を去来し、そこからふと我に返って見渡してみると、いつの間にかビーチを遠く離れていることに気付きました。自分でも知らない間に、遊泳可能区域の境目に浮かんだブイを少し越えた海上に浮かんでいたのです。そこへ「青いゴムボートの方、危険ですから遊泳区域へ戻ってください」という監視員からのアナウンスが響き渡り、私はすっかりパニクってしまいました。
何とか浜辺へ引き返そうと両手で水を掻いたのですが、戻ろうとすればするほどボートは沖へ流されていき、自力ではどうにもならなくなりました。元々、水泳が上手いというわけでもないので、海へ飛び込んで泳ぐという決心もつかずにオロオロしていると、急に荒い横波が来てボートが転覆しました。悲鳴を上げる間もなく私の身体は水中に沈み、頭の中はもう真っ白。手足を必死に動かして水を掻きました。すると突然、その片腕を誰かに掴まれました。そのまま水面へ引き上げられると、そこには若い男性の顔がありました。澄み渡った瞳が印象的な、とても精悍な容貌の人でした。恥ずかしい話ですが、自分の置かれた状況も忘れて一瞬うっとりとしてしまいました。「大丈夫か?水は飲んでない?」「は、はいっ。ありがとうございますっ」男性は軽くうなずくとゴムボートの縁に私の手を導き、そのボートごと引っ張る形で力強く泳ぎ出しました。そして瞬く間に波打ち際までたどり着くと、ずぶ濡れでへたり込む私の前に監視員のライフセーバーと一緒に来た3人のメンツが慌てて駆け寄ってきました。「みよりっ、大丈夫?」青ざめた女友達に抱き起こされながら、私は自分を助けてくれたあの男性を目で探したのですが、すでに彼の姿はどこにもありませんでした。
それから3日後、私は会社での仕事を終えた後、以前お世話になった花染に電話を掛けてみました。喜光先生には、人間関係の悩み事で何度か相談したことがありました。とても当たる占い師なのでその分人気も高く、でもその日はたまたま当日に空きがあり、夜の10時過ぎでしたが鑑定してもらうことができたのです。あいさつを終えると、さっそくあの男性のことを先生にお話ししました。「……というわけで、溺れかけた私を助けてくれたあの人が誰なのか、どうしても知りたいんです。占いでこんなことをお願いするのは無理でしょうか」「そんなことはないですよ。名前や住所まで正確に探るのは無理ですが、相手を探し出す手掛かりぐらいは掴めるかもしれません」先生はそう言うとさっそく霊視してくれたのですが、いつまで待ってもウーンとうなるばかりで具体的な言葉が出てきませんでした。「やっぱり、無理でしょうか」「いえ、そういうわけではないんです。逆にその男性がどこの誰なのか、はっきりと分かってしまったので……」言葉を濁す先生に重ねて訊ねると、思いもよらない答えが返ってきました。「じつはあなたを救ってくれたその男性、血のつながったお身内の方なんですよ」
翌日の土曜の朝、私は茨城の実家に帰りました。お盆前の突然の帰省に驚く父母を尻目に、真っ直ぐ祖母の部屋へ行き、古いアルバムを見せて欲しいと頼みました。「急にどうしたんだい、みより」「お祖父ちゃんの若い時の写真ある?それを見たいの」祖母は困惑しながらも部屋の押し入れの奥を掻き回し、やがて古ぼけた1枚の白黒写真を差し出してくれました。それを見た瞬間、知らず涙が溢れ出しました。「おじいちゃん、ありがとう……」そこには結婚して間もない頃の祖父母の姿が写っていたのですが、撮影当時まだ二十代の前半だったという祖父の面影は、数日前に私を救ってくれたあの男性のものだったのです。
漁師だった祖父は、私が生まれる2年前に水難事故で亡くなりました。今まで私は仏壇に飾られたその晩年の遺影しか見たことがなかったので、先生に教えてもらうまであの男性が祖父の霊であったことに気付くことができなかったのです。泣きながら写真を見つめているうちに、若き日の祖父の目が一瞬キラリと光ったような気がしました。この日を境に自分の中に巣喰っていた投げ遣りで無気力な気持ちが消え去り、今では何事にも前向きに取り組めるようになりました。プライベートでの当面の目標は新しい恋人を作ることです。もちろん、その相手は若い頃の祖父に似た人であること~その条件だけは絶対に譲れません!