学生時代に出会い、それから10年以上交際していたカレと昨年の暮れにピリオドを打ちました。別れ話を持ち出してきたのは向こうからで、その理由は「他に好きな人ができたから」というありがちな話でした。正直、私の方もその相手には少し飽きていたというか、男として見れなくなったというか…。つまり交際期間があまりにも長かったせいで、恋人というよりも異性の親友に近い感覚を持ち始めていたのです。ですからおかしな泥沼にはまるようなこともなく、あっさりと承諾しました。
ただ会社の同じ部署で働いている仲の良い女子社員たちは、私が恋人と別れたことを知ると必要以上に気を遣ってくれて、恋が終わったことよりもそちらの方が心の重荷になりました。ですから同期入社のA美に「アンタのために合コンのセッティングをしたからね。必ず出席してよ」と言われた時も、内心はうんざりでした。ただ彼女は機嫌を損ねると根に持つところがある厄介な性格なので、作り笑顔で「ありがとう!楽しみにしてる!」と心にもない返答をしてしまいました。
そして合コンの当日、女子4人で連れ立って指定された店へ行くと、すでに男性陣のメンツが揃っていました。相手はわりと名の知られたメーカーの正社員で、年齢は20代後半から30代前半。突出したイケメンや目立つほど面白い人はいませんでしたが、みんな私たちにとても気を遣ってくれてそれなりに楽しい時間を過ごすことができました。お酒と食事の後は二次会のカラオケへ行き、解散したのは23時頃。じつはその間際に相手側のメンツの1人に請われてメアドを交換したのですが、あくまでも義理という感じで積極的に付き合いたいと思えるほどの相手ではありませんでした。それで地下鉄の駅入り口でみんなと別れ、1人でJRの駅まで歩き出したのですが、自分では近道するつもりで大通りを外れたものの、気が付くと入り組んだ路地裏をフラフラしていました。辺りに人影はほとんどなく、素面なら深夜には絶対に歩かない寂しい場所でした。お酒の酔いのせいで方向感覚が狂ってしまい、大通りに戻って歩いているつもりでますます路地の深部へ入っていました。突然、背後から声を掛けられたのはそんな時でした。
「ねえ、お嬢さん、ちょっと待って。そこのパンツルックのお嬢さん」酔っ払いのナンパかと思って険しい顔で振り返ると、そこには手相見のおじさんがいました。道路の脇に小さなテーブルと椅子を置き、そこに座ったまま手招きをしていたのです。「ちょっと見てあげるから来なさいよ。見料はいらないから」そう言いながら笑うおじさんの風貌はひょろっとした痩せ型で、長いあご髭に作務衣姿。頭には松尾芭蕉みたいな筒型の帽子を被り、まるでマンガやドラマに出てくる易者そのものでした。無料で良いという上にそのいかにもという格好がかえって怪しく、宗教の勧誘の類ではないかと疑った私は返事をすることもなく再び歩き出しました。すると今度はその背中に、「お嬢さん、恋人と別れたばかりなんでしょう」という一言が響いてきたのです。驚いてまた振り返ると、おじさんは依然として手招きを続けていました。「でもね、すぐにまた素敵な相手が現れるよ。ほんの2、3分で済むからちょっと来なさいよ」。
私は促されるまま、そのおじさんに手相を見てもらいました。「ねえ、どうして私のことが分かったの。もしかして当てずっぽう?」「あはは、言うに事欠いてひどいね。まあ、こういう商売を長年やっているとね、人様の顔を見ただけで自然に色々と分かっちゃうことがあるんだよ」「それって霊感みたいな?」「まあ、そんなことはどうでも良いじゃないの」言いながらおじさんは、私が差し出した左右の掌をルーペで眺め渡していました。「うーん、やっぱり良い線が出てるね~。こりゃ、かなり良いよ」「どんな風に?」「さっきも言ったけれど男運だよ。これから少しの間に、一生を左右する出会いがあるからね、よくよく注意して過ごさないと駄目だよ」。私はお財布から千円札を何枚か差し出し、「もっと詳しく教えて」と頼みました。しかしおじさんは頑として見料を受け取らず、「残念だけど分かるのはここまでなんだよ。こっちから呼び止めておきながら、中途半端でかえって申し訳なかったね」そしてそそくさと店じまいを始めたかと思うと、瞬く間にどこかへ消えてしまいました。私は狐に摘まれたような気持ちで、しばらくその場に立ち尽くしていました。
翌日の土曜の昼過ぎ、1通のメールが舞い込みました。送信者は合コンでメアド交換をしたあの男性。短い挨拶文の中に、さりげなくデートの誘いが含まれていました。好みのタイプではなかったものの、例の占い師のおじさんの件もあったので試しに会ってみることにしました。
中目黒のフレンチレストランで食事をした後、2軒目のバールで少しお酒を飲んだのですが、予想した通りあまり話が噛み合わず、最後まで盛り上がらないままデートは終了。タクシーで送ると言われましたが、距離が遠いから悪いですと言って丁寧に断り、駅の改札口で別れました。そして次はないなと思いつつ、ぼんやりと電車に乗りかけたその時、2軒目の店に傘を忘れたことに気が付いたのです。日傘と雨傘を兼ねたシックなデザインで値段もそれなりのブランド物だったので、慌てて店へ取りに戻りました。するとそこで常連客の1人に声を掛けられ、それをきっかけに今はその男性とお付き合いしています。彼の仕事は建築デザイナーで、スタッフも抱える言わば社長さん。業界のことはよく知りませんが、若いながらにかなりの売れっ子らしくいつも忙しそうにしています。でもその中で私と会う時間だけはちゃんと確保してくれて、常に変わらず優しく接してくれるイギリス紳士みたいな人です。社内の仲良し組からは、早くも「玉の輿に乗ったじゃん」なんて冷やかされています。
その後、あの手相見のおじさんにお礼が言いたくて声を掛けられた場所へ足を運んだのですが、再会することはできませんでした。しかもすぐ近くの飲み屋さんに訊ねたら、「もう15年以上ここで店を続けているが、そんな易者は1度も見掛けたことがない」と言われました。何だかすごく不思議な気分です。